俺にはその昔、血を半分に分けた一人の兄が居た。
オーストリア人だった父が俺の母親と再婚する時に連れてきた、生粋のオーストリア人の兄だ。
後から生まれてきた俺を可愛がってくれたし、俺に先生を紹介してくれたのも兄さんだった。
大分年の離れた兄弟だったけれど、それなりに仲も良かったし俺も兄さんを尊敬していた。
だから俺もそんな兄さんのような、弟から尊敬されるような兄になりたいと…武が生まれた時に強く思ったんだ。




それがどうしてこんなことに?



















「よーし!次は決勝だなー!」
「俺らのクラスで残ってんの、もう男子サッカーだけらしいぜ?」
「そうよー、だからなんとしても男子サッカーだけは優勝してくれなきゃ!」
「頑張ってねくんっ」
「おいおい俺達のことも応援しろよなー!?」
「うるさいわねーくんのお陰で決勝までこれたようなもんじゃないのー」
「ぎゃはは確かに!次もビシバシシュート頼むぜー!」
「いくらでも入れてやるから、お前らは絶対入れさせんなよ」


クラスの女子から手渡されたタオルで汗を拭いながら、同じチームの奴を軽くどついた。




空は快晴、夏の気配も感じられる爽やかな日和。こんな日は球技大会で青春の汗を流すのが一番だ。
室内でドタバタするなんて実にもったいない。俺は屋外の球技でサッカーを選んだ。
サッカーは嫌いではないし、むしろかなり好きな部類に入る。
これまでの試合は順調に勝ち進み、次はいよいよ決勝戦というところまで来た。


「次はソフトボールでグラウンド使うらしいからしばらく試合ないってよ」
「……、」
「ん?どうした」
「えっ?あ、いや、何でもない…」


声を掛けてきた奴が軽く首をかしげた。
俺は脳内で浮かんだ顔を瞬時に消し、軽く笑って誤魔化した。



…あいつは確か、ソフトボールだって言ってた、よな。



いつも通りの会話の中で拾った一言。
俺はその言葉に「頑張れよ」と笑顔で返していたと思う。曖昧な記憶だけど、笑っていたのは確実だ。
俺達はあの日以来、不自然にならない程度に、笑顔しか浮かべていない。


「時間あるなら俺、ちょっと水飲みに行ってくるな」
「おー。試合には遅れんなよ?」


俺は手を軽く振ってからその場から離れた。いつもより日差しが強いせいなのか、ほんの少しの眩暈を感じながら、額から流れた汗を持っていたタオルで拭う。
意識の半分飛んだ脳内が勝手に足を動かす。確かこの先に水飲み場があったよな…とうわ言の様に呟きながら。
十日ほど経った今でも、顔を合わせづらいと感じているのは、多分俺だけだ。少なくとも武は、俺に何度もあの時の話をしようとしている。
それをさり気なくかわしているのは俺だ。武が最近元気が無いのは俺のせいだと、ちゃんと分かっているクセに。

でも…自分でもどんな顔して接すれば良いのかが、分からないんだ。
何故、と問うことなんて以ての外。理由なんて、あの目を見ればすぐに理解できる。その答えは、最近感じていた疑問の答えでもあった。
唯一問うとしたら「いつから」ということ。武の俺に対する接し方が変わった日なんて、もう思い出せない。

一体いつから、お前は俺に…  あんなことを、したいと。




けれど、何よりも分からないのは―――――――――







「兄貴…」

それは何度目かの仕種。頬を撫でられる度に頭を過ぎるバカみたいな懸念を、俺はその時ばかりは「されてしまう」と瞬時に悟った。
熱の篭った視線が本気だと伝えてくるからだ。そして俺は身動きすら出来ず、拒むこともしなかった。
徐々に降りてくる顔。その時武の熱い吐息が俺の唇にかかって、俺は少しだけ身を竦めた。
添えられた手に動揺が伝わった瞬間、武は俺を強く掻き抱き、とうとうその唇を重ねた。
激しく求めてくる弟の舌に、初心でもない俺は殆ど無意識的にソレに答えていた。蕩けた思考の中で、武の中にもこんなに激しい感情があったのかと漠然と考える。


「んっ……は…」


全てを飲み込まれるようなキスに、次第と俺も何も考えられなくなっていった。
その代わり、どこからかやってきたある虚像に俺自身がどんどん囚われていく。それは、限りなく虚しい幻だった。
とうとう勢いだけが先走り、二人はドサッとベッドの上にもつれこむ。
その時ようやくハッとしたように武が目を開き、繋がってしまったかのように思えた唇が勢いよく剥がされた。


「…、せ…ん、…?」
「……っ、わり…っ」


だらしなく口の端から唾液を垂らし、熱に浮かされた瞳で見上げれば、武は顔を真っ赤にして部屋から飛び出していった。
ぼーっと暫くそのままだったけど、やがて自分の身体が反応しているのに気付き意識を取り戻す。

「(お、俺…今、何を…!?)」

今更血の気を引かせて唇を拭った。それ以前に途中から思考回路を支配していた妄想に、自分自身で愕然とする。


俺は今、誰を相手にしていた?








(武の事を考えなきゃいけないのに…。忘れたはずだろ、忘れなきゃいけないんだ…っ)


ガッ!と拳をコンクリートに打ちつける。
それでも行き場の無い憤りは抑えきれず、俺は限界まで蛇口を捻って水を被った。

楽譜を挟んだファイルを眺めていた時、確かに俺は先生のことを思い出していた。
ピアノの楽しさを思い出してから、俺の中では忘れようとしていた前世の記憶が逆に鮮明になっていて…俺自身でも既に混乱していたんだと思う。
じゃなきゃ…武が先生に見えただなんて、そんなバカみたいなこと。
今みたいな気持ちで武とあの時の話なんてしたくないんだ。武を責めることなんて出来るハズない。最低なのは、俺だ。




自嘲する余裕すらない、止め処なく溢れてくる悔しさを抑えられるなら、いっそピアノが弾けなくても良い。前世の記憶なんて…消して欲しいと思った。








「あ…」







その時背後から、小さな声が聞こえた。


「…?」


俺はその声に、水浸しで酷い格好のまま振り向いた。
声を漏らした相手は、小柄でツンツンした頭の男子生徒だった。


「あ、ご、ごめんなさい…他のトコ行きますから!」


彼は一瞬呆けたような表情を見せてから、慌てたように頭を下げて立ち去ろうとした。
思わず無意識に身体が動く。


「…え、ええっ!?」
「…あ、悪い」


ハッとした俺は、何故か彼の腕を掴んで引き止めてしまっていたことに気付く。
驚いてたたらを踏んだ男子生徒は、顔を真っ赤にして更に慌てだした。


「あのっ、おおお俺はただ顔を洗いに来ただけなんで…!」
「別にココ、使ったら良いじゃん。遠慮しなくて良いのに」
「えっ あっ」


可愛そうなくらいに真っ赤になってどもる一年生の反応に、俺は思わず噴出した。
堪えきれずに笑い出す俺をポカンとした顔で見上げ、ぱちくりと大きな瞳を瞬かせる。




「アハハッ、ご、ごめん…!なんか、久しぶりに初々しい反応で…アハッ、駄目だ、とまんね…っ」




腹を抱えて仕舞いには涙も浮かべながら笑う俺を見て、その一年生は更にクエッションマークを撒き散らしていた。
そうだよな、普通(、、)の中学生って、こんなもんだよな。俺自身ただでさえ中身が老けてるのに、最近は周りまでおかしい奴らばっかで忘れかけてた。
まるで息苦しい水中でもがいた後に、その中から顔を出して盛大に空気を吸い込み、思わずむせてしまった時のような心境だった。
腹筋が攣るまで笑いまくった俺を、どこからか赤ん坊が見ていたことなど気付く余裕も無く、結局笑いきるまでその一年生は傍に居てくれた。


「は〜、久々に大笑いした。腹いてー」
「だ、大丈夫ですか…?」
「大丈夫。優しいな」


ありがとな、の意味を込めてポンと頭に手を置く。
ほんのりだけどまた顔を赤くさせる一年に微笑み、出っ放しだった蛇口をようやく閉めた。


「顔、洗いに来たんだっけ?悪いな引き止めて」
「いや、俺のほうこそ邪魔しちゃったんじゃないかって思ってたし…」
「…邪魔?」
「あ…えっと、何か悩んでたように見えたから…」


今度は俺のほうがポカンとしてしまった。
…確かに、頭から水を被ってるのはちょっと異常な光景だとは思うけど…。


「(コイツ、けっこう鋭いのかな)」


どこにでも居そうな風貌だけど、中学一年生にしては人の心を察するのが上手いヤツだと感じた。
俺が笑い終わるまで嫌そうな顔一つせず待ってくれてたし。

噂も、ただの噂じゃ無かったのかもな。



「――――…い!おーい!、もうすぐ試合始まるぞーー!!!」
「お?」



と、その時少し先の方からクラスのヤツの怒鳴り声が聞こえてきた。
もう、そんなに時間が経ってたのか。と呟いてから、再び一年の方へと顔を向け、頭に手を乗せる。


「じゃ、お呼びがかかってるみたいだから。またな、沢田綱吉」
「え、俺の名前!?」
「ハハッ!持田もあれから俺に絡んでこなくなったんだよ、感謝してるからな!」
「え え ええーー!?」


感謝してるのはホントの話。体育の授業で俺に剣道でボロ負けしてから、しつこいくらいに言いがかりをふっかけてくる持田が最近は声も掛けてこなくなったのだ。
あわあわしている沢田を横目に、俺は笑いながらグラウンドの方へと駆け出していった。






ふと、武と沢田が同じクラスだったことを思い出す。







「「っうわ!!」」







その瞬間、校舎の影から飛び出してきた誰かに激突し、あやうく吹っ飛びかけてしまった。


「…テメェ、よそ見してんじゃねえよ!」
「いったた…ああ、悪かったな…」


ちらりと相手の顔を伺うと、整ってはいるが明らかにガラの悪そうな生徒だった。
今モメ事起こすのは面倒なので素直に謝る。すると相手はケッと吐き捨てさっさと去っていった。


「見たこと無いな…一年か?」
「早くしろーーー!!」
「はいはい分かってますよっと!」


ドカドカと歩いていく後姿から視線を外し、俺は急かしてくるクラスの連中の元へと走り出した。




















































「帰んねーのか?」
「ああ…それに、やっぱ嬉しかったから」
「人に感謝されたのがか?」
「…今の俺じゃ何も出来ないけど、自分の出来ることをやろうと思う」


俺がホントに嬉しかったのは、最後に言われた持田先輩のことじゃなくて、先輩が笑ってくれたということだった。
あの天真爛漫な先輩の背中が酷く悩んでいるように見えた時は、俺は咄嗟に此処にいちゃいけないって思ったけど。
でも俺の存在が…俺が立ち去らずにその場に居たということだけで…少しでも先輩の力になれたということが――――――。


「バレーの試合も…、最後まで頑張ってみる」


そうか。とニヤリと哂ったリボーンを見て、俺も少しだけはにかむ。


「それにしてもあの先輩が俺の名前知ってただなんてビックリしたなー…」
「山本か。面白そうなヤツだな」
「おっおい!間違ってもファミリーに入れようだなんて考えるなよ!?相手は俺なんかと住む世界が違うんだから…!!」
「何言ってんだ。同じ並盛在中だろーが」
「だからっ、あの先輩はアイドル!芸能人みたいなもんなの!『並盛の高嶺の花』って呼ばれてんだぞ!!?」
「グダグダうるせーな。ファミリーに入れるか入れないかは俺が決める」
「出た俺様ーーーーーー!!!!」


さっさと試合に戻れ、とゲシっと背中を蹴られて、俺は思わずよろめいてしまった。
この俺様な赤ん坊は一体どこまで本気なのだろうか、まだ出会ってから間もないが、なんとなくその境界線を理解してきた。
というより境界線なんて最初から無い。…リボーンはいつだって本気だ。


「くそっ…絶対にマフィアの10代目なんかになるもんか…!」
「何か言ったか?」
「ぎゃーーー!所構わず銃ぶっ放すなよ!!」


足元に撃たれる銃を必死で避けながら体育館へと戻っていく。
ようやく試合へと戻っていったツナを見てニヤリと哂い、リボーンはカートリッジに死ぬ気弾を二つ装着して狙いを定めた。

彼の頭の中には今のところ二人。

一人は先程見かけたイタリアから来た銀髪の男一人と。

もう一人は…どこか存在自体が食い違っているように見える薄茶色の髪を持った、どこかのハーフであろう男。



面白いな。と一人呟き、リボーンはトリガーを引いた。







(一気に主要キャラ3人と絡ませてみました)