俺と山本が兄弟だということを知っている生徒は、実は少ない。
山本なんてありふれた苗字だということもあるけど、それ以上に顔立ちが全く似てないのが大きいんだと思う。
俺が親父に似たのに対し、兄貴は母親似というワケでもなく、ただ一人、作り物のような顔立ちをしていた。
母さんも色白だけどそういった白さではなく、もっと別の次元の。
触れなければ本当に素肌だということが信じられないような陶器のような肌を持ち、俺とはまったく色も質も正反対な柔らかい髪を靡かせる。
大きすぎず、しかし視線を合わせれば有無を言わさず離せなくなる黒目がちの瞳は、長い睫に覆われて一層美しい。
それらは念密な計算を繰り返されたかのように。小さな顔の中に一寸の隙もなく整えられたパーツのひとつひとつが本当に綺麗だ。

兄貴が歩けば、魔法が掛かったように人が振り返る。

面白いのが、兄弟で歩いているとたまにカップルだと間違われることだ。その度に兄貴は憤慨して何故か俺が怒られる。
この前なんて一人で立っていた兄貴を女と間違えてナンパした高校生が、後から来た俺を見た途端に「なんだよ彼氏待ちかよ」と吐き捨てて去っていったのだ。
その日は一日兄貴の機嫌が悪くて大変な思いをした。


だけど俺は知っている、兄貴を本当に綺麗に魅せるのは、その鮮やかな内面だということ。
それは学校に居るときのような余所行きの表情のことではなく、俺や家族に見せる本当の兄貴の顔のことだ。
並盛中で風紀委員長と並んで有名人な山本の顔は、皆に平等に親しく優しい人気者。普段はおちゃらけた態度で良く校内を走り回っているらしい。
兄貴に憧れている人間も多く、女子の中では密かにファンクラブなんてものもあるのだとクラスメイトから聞いた。
そんな兄貴も俺は好きだし、自慢だ。





だけど俺が、俺だけが知っている、兄貴の本当の表情。他の人間なら見れるはずもない、俺だけに見せてくれる兄貴の本当の顔。





例えば 自分に触れたとき酷く愛しげに、儚げに、笑ってみせるあの表情を、校内で山本を想っている生徒は見たことがあるだろうか。
例えば ふとした拍子に遠い何かを思い出すように、彼が震える己の身体を抱きしめているということを、山本のクラスメイトは知っているのだろうか。
顔を赤らめ、困惑したように見上げるあの表情を。

そんな時、兄貴は何よりも綺麗に見えるんだということを。
















「おい山本ー、帰りにコンビニ寄らないか?」
「あー俺今日は早く帰んなきゃいけないんだ、ワリィ」

早々に着替えを終えた俺に、部活の仲間の一人が声を掛けてきた。それに対しすまなそうに返答し逸早く部室を出る。
無意識に足早になる歩調に気付けば、いっそ走って帰ろうと開き直った。
時々追い抜かす並盛の生徒を視界の端で確認する。見慣れた後姿が歩いていないだろうか、と。
早く、早く兄貴に会いたい。


『じゃあ…家で、待ってるからな』


浮かれた気持ちが先走る。そう言った時の兄貴のはにかんだ笑顔を思い出せば自然と足も速くなった。

周りの景色が流れる中、日が沈み始める前の空に夕月が見えた。白く半分ほど欠けた月は、輝きもせず頼りない姿をしているのに、何故か目が離せない。そういえばなんとなしに、あの時の兄貴は何かがふっきれたような顔をしていたな。とぼんやりとだが思い出す。
三日ほど前から変にそわそわしていた兄貴は何だかおかしく、当日にはどんな反応をしてくれるのかが楽しみだったけれど、今日見た兄貴は普段と変わらず落ち着いた雰囲気をしていた。
兄貴は何もないとは言っていたけど、やっぱり少し気になる。
ことの発端は今日の昼休み。当然同じ校内に居た俺の耳にも入っていた。
風紀委員の呼び出しで挙がった名前は、なんと自分の兄で。その放送を聞いたとたんにパンは落とすわ椅子からズッコケるわで大変な目にあった。
気が気じゃなくて次の授業が終わった頃に兄貴のクラスに行くと、どんよりした重たい雰囲気の中、全員がうめき声を上げて合掌しているのを見た。
話を聞けば風紀委員の一人に連れ去られてから帰ってこないと。サーッと音を立てて血の気を引かせたその瞬間に、聞きなれた声が背後からして、俺は心臓が口から飛び出すんじゃないかってくらい驚いた。


『武?こんな所でなにしてんだよ…ってゲッ。なんだこの教室』
『兄貴…っ!?無事だった…――」
『うわあああああの亡霊だーーーー!!!』
『ヒー!なんまいだぶなんまいだぶ悪霊退散!』
『亡霊!?アホかお前ら!おら良く見ろよこの節穴軍団!!俺は生きてるっ!』
『『『『ぎゃああああーーー来るなーーー!!』』』』


…取りあえずその様子を見て無事だったということは伝わったから良いんだけど。兄貴のクラスって相変わらず面白いなー。と呟けばハア、と溜息が返ってきた。


『で、お前はどうしたんだよ、何か用だったのか?』
『あ、いや別にあの放送が心配だったから様子を見に来ただけだけど』
『そっか。ありがとな』


やんわりと”兄”らしい笑みを浮かべる兄貴を見て、朝とは様子が変わっていることに気付く。変わったというより戻ったという方が的確か。
なんとなく残念だなーと思った。やきもきして落ち着かない兄貴は可愛かったのに。


『そうだ、何が欲しいかもう教えてくれてもいいだろ?帰り道に買っといてやるからさ』
『………んー…まだ教えない。とにかく兄貴は家で待っといてくれれば良いから』
『? …ったく。何を企んでるのやら。しょうがない、じゃあ…』


家で、待ってるからな。











住宅街を走りながらもつい笑みが浮かんでしまう。
俺の”欲しいもの”を言ったとき、兄貴は一体どんな顔をするんだろうか。考えるだけでも楽しくて浮かれる。
たぶん兄貴は怒るか呆れるかして”ソレ”はくれないんだろうけど、俺からしてみればその時の兄貴の表情が見れれば十分だ。
もちろん、くれるのならそれに越したことはないけど。


最後の曲がり道を過ぎ、やがて見えてくる暖簾に気持ちが急かされる。



「ただいまー!」



バタンと扉を閉めて靴を脱ぎ捨てる。台所からはトントントンという音と「おかえりなさい」という声が聞こえてきた。
早めの支度はいつもより豪華な夕飯を作っているからだろう。良い匂いに釣られて台所に行けば、親父も一緒になってメシの準備をしていた。


「おう武、今日は特上のネタを仕入れといたからな、楽しみにしとけ!」
「うおー凄いな。あ、兄貴部屋にいる?」
「なら今お風呂に入ってるわよ」
「そっか、サンキュー」


台所を出て洗面所の方を覗く。湯気で曇った鏡を見て、ニッと笑みを浮かべた。


「兄貴!」
「!!? おうわっぷ!!」


ガチャッと勢いよくドアを開ければ浴槽に入っていた兄貴が驚いて身体を滑らした。
ザバァとしぶきを上げて身体を起こした兄貴に思わず俺も爆笑する。


「おまっ…いきなりドアを開けんなよ!!ゲホッゲホッ、あーお湯飲んだ…」
「あはははっ ごめんごめん」
「…。(この確信犯め)」


ジトリとした視線を受けつつも笑いが止まらない。
と、その時頭を過ぎった考えに俺はぽんと手を叩いた。善は急げとそのまま浴室のドアを閉めずに二階の自分の部屋に目掛けて走り出す。


「おい、武?……着替えにいったんかな」


っつーかドア閉めてけよという兄貴の呟きも聞こえる訳もなく、すぐにまたバタバタと足音を鳴らして脱衣所へと戻ってくる。


「武…?おい、まさか…お前っ!?」
「待ってろよ兄貴ー」


ガサゴソと不穏な衣擦れの音を感じ取ったのか、浴室の方から兄貴の焦った声が聞こえてきた。
ぽいぽーいとシャツやら下着やらを籠に投げ入れ、素早く腰にタオルを一枚巻いた姿で再び浴室へと入れば、浴槽の中であんぐりと口を開ける我が兄。
さすがに浴槽に二人は入りそうにないのでそのままシャワーを捻って汗を流し出した。


「――――ハッ!いやいやいや、何普通にシャワー浴びてんだよ!」
「今日も部活で汗かきまくったから先に身体洗わなきゃだろ?」
「あ、そうだよなー…ってそうじゃなくって!!
「あははっ ノリツッコミ?」


お湯に浸かって上気した肌が一段と赤く染まる。前髪から滴ったしずくが流れ落ち首筋に滑っていくのを、色っぽいなーなどと考えながら眺める。


「大体年の近い兄弟が一緒に風呂に入るなんて、普通嫌がるもんだろ…」
「……あ、兄貴ってこんなトコにほくろあるんだ」
「あん?」


シャワーを止め、浴槽の縁に肘を置き右手を伸ばした。
鎖骨あたりに指を滑らすと、くすぐったいのか兄貴が顔を顰める。

…その表情、さりげなく俺の好きな表情だ。そんな顔を見たいから俺は兄貴に触るのかもしれない。


「……なあ兄貴、もうちょっと端に寄ってくんない?」
「ハァ?これ以上はムリだって――――ってお前!狭い狭い!!」


無理矢理に足を突っ込ませてからお湯に身体を沈めれば、行き場をなくし溢れたお湯が一気に流れ出た。
一通りお湯が溢れ終わると窮屈そうな兄貴がむすっとした顔でコチラを睨んでくる。おーこわ。


「武…あとで親父たちが入るってのにほとんどお湯が無くなっちまったじゃねーか」
「そんなんまた入れればいいだろ?」
「…………………………せまい」


母さんの趣味で入れられている入浴剤のおかげで白く濁り良く見えないが、取りあえずお互いの足がぶつかりあっていて確かに狭かった。
普段なら兄貴は俺の行動に怒った後はすぐに呆れたように苦笑を零すのに、今回はなかなか機嫌を直してくれない。さっきから無言で怒りを訴えかけてくる。
…ん〜と。と思わずこちらが苦笑いになり、ちょっと気まずい空気が流れる。


「あー…そんじゃあさ、こうすれば良いんじゃねーの?」
「っ!?」


なし崩しで掴んだ腕を引き寄せ、自分の足の間に滑り込ませるようにしてその肩を抱きしめた。
直接ぶつかる肌は滑らかで暖かい。肩越しに兄貴が振り返ったとき、その茶色い髪の毛が首にかすめてくすぐったかった。


「おい、離せよ…!俺はもう出るから、武はゆっくり一人で浸かってればいいだろ」
「ダーメ。ちゃんと百数えてから出ろって兄貴言ってただろ?」
「何年前の話だよ!」


うがーっと暴れる兄貴を笑いながら押さえ込む。
ばしゃばしゃと跳ねるお湯が顔に当たり、どんどんその容積が減ってゆくのが分かる。
「そんな暴れたらお湯なくなるぞー」と言えば兄貴はピタリと動きを止めた。それが可笑しくて俺は笑いを忍ばせる。


「…ハァ。お前なんか最近変だぞ」
「―――――どこら辺が?」


諦めて俺にもたれ掛かってくる兄貴の髪に指を絡めつつ、掛けられた問いに抑揚の無い声で返事をした。


「どこがって…」


上手く言葉が見つからないのか、兄貴は言葉を噤んだ。
俺はそんな兄貴の後頭部に近づき、静かに口付けを落とす。










接し方が変わるのなんて当然だ。俺は、知ってしまったのだから―――――――。










「…まあいいか。べったりなのは昔っからだしな。それより、まだ聞いちゃいけないのか?」
「ん?ああ、俺の欲しいもの?」
「そう、早くしないとコンビニしか店がなくなるぞ?」
「平気だって。俺が欲しいのは、物じゃないし」
「……は?」
「ん〜、今言っても良いんだけど…。いや、ダメだ、それはマズイな」
「??」


今言ったら冗談だけじゃ済まされなくなりそうだ。

首を傾げる兄貴の頭を押さえ、「くすぐったいから」と言って誤魔化しといた。































ゆらゆらと瞬く13本の蝋燭を一息で消し去れば、ささやかな拍手がリビングの中に満ちてゆく。


「お誕生日おめでとう武」
「お前ももう十三になるのかー!早いもんだなぁ!」
「そっかもう十三になるんだなー時の流れは早いなあ」


母さんが笑ってケーキを切り、親父がしみじみと幼い頃の写真を眺め、兄貴が昔を思い起こすような仕草をする。
三者三様の反応に俺も笑ってお茶を飲んだ。


「にいちゃーんこわーいって言って夜中トイレに付き添わされたのがつい昨日みたいに感じるな」
「ガハハハ!その度にお前らは一緒の布団で寝てたんだっけか?」
「ぶっ なんだよソレ、何年前の話だ――――って、もしかして…さっきの仕返し?」
「おかげでのぼせかけたからな」


フフン。と鼻を鳴らして兄貴は哂ってみせた。思わずすみませんでした。と言葉を漏らしてしまう。苦笑だ。
分かればいーんだよ。と兄貴は普段と変わらない笑顔を浮かべながら、取り分けられたケーキを口に運ぶ。
毎年変わらない暖かな食卓は贅沢なものだった。たかが中学一年生の浅い精神ではなかなかそれを実感することは出来なかったけど。


「武はもう随分大人になったな!まーの方は昔っから中身の生意気さはかわらんが」
「幼い頃から聡明だったからな俺は」
「けっ、どの口が物を言うのやら」
「もー二人とも折角の武の誕生日なんだからやめなさいよ」
「「へーい」」


親父と兄貴のこんなようなやり取りも、俺が物心ついた頃にはすでに行われていたような気がする。確かに兄貴は昔から中身は変わってないのかもな。
わいわいとしばらくそんな団欒が続き、腹も気持ちも満たされたころで俺と兄貴は部屋に戻っていった。
またかー?と顔を顰める兄貴に笑いつつ、俺は当然のように兄貴の部屋に入って浅いベッドに腰掛けた。


「なあ兄貴、あそこに並んでるの何の本なんだ?」
「ん?…あ〜…アレは…、」


ふと視界に入った本…というよりは紙の羅列したファイルのような物。それを指差し、俺は兄貴に問いかけた。三日前にはなかったような気がする、となんとなく思っての問いだった。
指された指の先を視線で追い、机の上に教科書と一緒にならべられたソレを見た兄貴は何故か少し言いよどんだ。


「大したモンじゃねーよ。ただ塾行ってる奴から貰った模試のプリントを挟んでるだけだ」
「ふーん。まあなんだかんだで兄貴は頭いーからな」
「…ま、まあな」


実は兄貴は学校であんな遊んでいるクセに頭が良い、特に英会話なんかは英語教師が舌を巻くほど堪能だ。
その上、俺も実際を見たことはないし詳しくは知らないが兄貴は以前、英語よりはドイツ語やフランス語の方が得意だけどなーと呟いていたことがある。
俺的にはどこでそんなの勉強してきたんだ!?って感じだし同じ家で育ってきたとは思えないようなところだ。
成績の悪い俺からしてみればちょっとはその脳みそを分けろーと言ってやりたい。

って、そんなことを考えてる場合じゃなくって。



「……なあ、兄貴」

「…何だよ」



ファイルをじっと見つめていた双眸がゆっくりコチラを向く。その視線が異様に艶めいていて、俺は息を呑んだ。
そしてその瞳が驚愕で見開かれるのを見て、俺は自分が無意識のうちにその肩を掴んでいたのに気付く。

心のどこかで眠っていた何かが肥大する。

待てよ、全部冗談で済ますはずだっただろ。と理性的な自分が必死に抑制するのに、ソレはますます大きくなっていった。







「兄貴からの誕生日プレゼント…貰っていい?」

「な にして…、」







いつかのようにするりとその頬を撫でる。
そうすると兄貴は、俺の好きな表情の中でも特に好きな顔をしてみせた。
普段ならその表情が見たいがためにしていることなのに、今回ばかりはその顔は勘弁して欲しいと思った。

とまらなく、なるだろ






「あっ……」






小さな戸惑いの息さえ塞いで 飲み込んだ。















俺は、知ってしまったのだから―――――――。








(これ以上は恥ずかしくて中途半端なところで終わる…)