4月下旬。桜もそのほとんどが散ってしまい、少しだけ物足りなさを感じるころ。
今年も、恒例のアレがやってくるのだ。
好い加減ネタも尽きてきた。予算の制限だってついてくる。
一昨年はグローブをプレゼントした。去年は帽子をプレゼントした。
欲の無い弟を持つと苦労する、ここ最近は特に「〜が欲しい」という話を聞かないから尚更だ。
今年は、何をあげれば良い?
「――――なあ武、お前なんか欲しい物無いの?」
「んー?そうだなー…のんびりした時間かな。今みたいな」
ホラこれだ。お兄ちゃんにどうしろってんだよ。
晩飯の後の兄弟の団欒。毎日の日課だったそれは、最近は俺の部屋にて行われていた。
ってゆうか武が俺の部屋に押しかけてくる。しかも特に意味も無く、だ。笑顔で部屋に入ってくれば勝手にベッドに座って勝手に本を読んだりしている。
今日もそんな感じで武が部屋に入ってきたので俺はベッドの隅に追いやられることになっている。チクショウ無駄にでかいんだよお前は!
「それじゃあ困るのは俺なんだよっ ったく、ちょっと考えれば一つくらい浮かぶだろー?のんびりした時間とか、疲れたサラリーマンじゃあるまいし」
「あははっ!そっか、もうすぐ俺の誕生日だっけか」
「本人が忘れてんなよな…」
「そっかそっか」
武はそう言って妙に嬉しげにのしかかってきた。ただでさえ狭いベッドの上で絡まれた俺は圧迫感に顔を顰める。
昔っからこの弟の過剰なスキンシップにほとほと困り果てているのは兄貴の俺だ。
最近なんかはただでさえ俺よりデカくなったってのに、その勢いは下るどころか増すばかり。
俺が言うのもアレだけど武も相当なブラコンだと思う。絶対。…コイツには思春期ってもんはないのか?
「兄貴、今年は何くれんの?」
「だからまだ決まってないからこうやって…」
俺の上に跨るようにして屈みながら、武は酷く優しい手つきで髪を撫でてきた。
…これがもうすぐ13歳になる中学生のすることだろうか。
ニコニコと微笑むだけの武に、俺はハァと深い溜息を吐いた。
「予算限られてるけど、なんか欲しいもんあったら買ってやるから」
「んー…じゃあさ…」
なんっつー甘い声。ホントにコイツは無意識でやってんのか?
だとしたら真性のタラシだな。
少し間を置くようにしてから武は俺の首元に顔を埋めてくる。
鼻や頬はまだ良いとして唇までが皮膚に当たっている。息がかかってくすぐったい。
「時間…兄貴の時間が欲しい」
「…は?」
意味の分からない言葉に顔を上げようとするが、しっかりホールドされていて身動きが取れなかった。
俺からじゃ武の表情は伺えない。何を考えているんだコイツは。
「俺の時間って、どういう意味だよ」
「誕生日の当日に欲しいもん言うから、兄貴にはその時に時間を空けといて欲しいって意味」
「…? …わかった」
意味の分からぬままに返事をすれば、武はようやく顔を上げて嬉しそうに笑った。
そんな表情にしょうがないヤツだな、と思いつつも微笑んでしまう。兄貴の性だ。
いったいどんな物を要求されるのやら。
頼むからお兄ちゃんの財布の中身も考えてくれよな?
今日は此処で寝たいとワガママを言う武を追い出し、俺はしばらくの間の節約生活を思って少し溜息を付いた。
「(とか言いつつもう当日か…)」
机に肘を付き、頬杖を付いて俺はぼんやりとそんなこと考える。
なんだかんだであっというまに24日になってしまった。結局最後まで武は何を要求するのかは教えてくれそうに無い。
ガブリと母親特製おむすびにかじりつけば、仲間の一人が俺の顔色を見て声を掛けてきた。
「どうしたんだよ、なんか一日中ぼーっとしてさ」
「ん?いや…今日も天気が良いなあって思ってさ。俺だって色々と考える所があるんだよ」
「はぁ?なんだそれ」
「ぎゃははっ!お前が空を眺めて物思いに耽るタイプかよ!」
おもくそ笑いやがったソイツを締めようとしたその時だった。
『2年A組 山本 至急応接室まで来るように』
低音ながらも透き通る声が校内に響き渡る。
聞き覚えのあるその声に、俺だけじゃなくクラス全員が硬直した。
「お…お前、とうとうシメられるんじゃねえの?」
「………」
突然のことに未だ情報を処理しきれていない俺にクラスメイトが肩を叩いてくる。
それだけじゃなく、他のクラスからも野次馬紛いの連中がこぞってこの教室を覗き込んできた。
教師までもが顔を青くして同情の眼差しを向けてくる。同情するなら変わってくれ。
「俺…なんかやった?」
「「「「「色々ありすぎて検討がつかない」」」」」
そろえられた声にガックリと肩を落とす。
兎に角早く行けよ、という友達に背中を(無理矢理)押され、俺は教室から追い出されてしまった。
「(あの日からそこまで悪い関係じゃなくなったと思ってたんだけど…俺の思い上がり?)」
いっそバックれてしまおうか、と思い立ち下駄箱に向けて足を反転させる。
しかしその瞬間、ガシッと何者かに身体を拘束されてしまった。
「山本、委員長がお呼びだ」
「は…はひ…」
顔を向ければリーゼントの眩しい風紀委員のお顔が。
「(ごめんな武、兄ちゃん生きて帰ってこれるか分からなくなっちまったよ)」
俺は心の中で十字を切った。
「――――――あの、俺何かやらかしましたか」
「良いから早く座りなよ」
あきらかに指差されたソレはふかふかのソファではなく、木製で一人用の椅子だった。
それだけならまだマシとしよう。いや、ブン殴られるワケではないのならそれだけでも十分マシなんだけど。
「ていうか、応接室にグランドピアノなんて置いてましたっけ」
「何か文句ある?」
「………………めっそうもございません」
俺はやはりやらかしてしまってたみたいだ。
あの日、この人に見つかったのは失敗だったのだ…不可抗力だったけど。
説明せずとも俺のピアノを気に入ったらしい雲雀は、なんと応接室にピアノを運ばせるというアクティブな行動をとったらしい。
俺を呼び出したのは見たまんまの意味だ。有無を言わず演奏しろ、と。
「…ハア。分かりました、弾きます。けど、もうこれっきりですよ?」
「誰が今回きりって言った?つべこべ言わずにはやくしなよ」
むすっとした表情を見て、俺はここに来るまで散々ビビってたのがアホみたいに思えてきてしまった。
これは単に雲雀のワガママだったんだって理解すると、
意外とこれが、可愛らしく思えてくるんだから不思議だ。
「(武と変わんないな)」
そう思ったら自然と口が緩まずにはいられなかった。
その時雲雀は一瞬顔を顰めたけど、それすらも何だか面白い。
結局は雲雀も中学生。危うく忘れかけてたけど、ある意味精神年齢三十路超えの俺から見れば十分子供だ。
ただ、ずいぶんと乱暴者なだけで。(そこが一番重要だ)
「―――――どんな、曲が良いですか?」
少し間を置いてから、「最後に弾いていたヤツ」と小さな声が聞こえてきたので、俺はそれにまた笑ってから鍵盤に指を乗せた。
静かに流れ出すメロディは 昼時の騒がしい校内ではかき消されがちだ。
しかしたまたま耳にした生徒や教師はその歩みを止め どこからか聞こえてくる華やかな曲に思わず耳を傾ける。
誰しもが心にある大小のトゲを 優しく包み込むように。
それは 風に唄を乗せてきこえてきた。
「…、」
やがて音が止むとフゥ、といった息が漏れた。
そして前回と同じように傍に立ってピアノを聴いていた雲雀に顔を向け、様子を伺う。
「……。もうすぐ授業が始まる。キミはもう教室に戻って」
「え、あ、はい。 ……、」
「…何」
俺の視線に雲雀は目を細めて返してきた。
もう俺はこの人から恐怖を感じることはないかもしれないと、漠然とそんなことを考える。
「えーと…次の授業、自習なんですよね」
「だから?」
「もうちょっと、弾いていっても良いですか?」
「…好きにすれば」
フン、と鼻を鳴らしてその場から離れると、雲雀は部屋から出て行かずにソファへと寝そべった。
分かりやすい態度に、雲雀ももうしばらく俺のピアノを聴いてくれるのだということを理解する。
この前の音楽室のときと同じ、不思議な暖かい何かが俺の胸の中に広がってゆく。
家族と接する以外は、どこか憂鬱だった俺の第二の人生。
生まれ変わる前の俺も、普段は分厚い仮面を半分付けて暮らしていたような気がしたけれど。
でもそう、ピアノに触れているときこそ剥がれる。そのままの俺が伸びをするかのように。
雲雀は 生まれ変わってから家族以外で 初めて俺の仮面を剥がした人間だ。
「(…これは、予想外だったな)」
何年も夢見ていた妄想が、気付けばこんな形で実現されていた。
ムリにはしゃいでバカ騒ぎする必要も無い。気負わなくても良いのだから。
…家族以外でこんな接し方が出来るだなんて。
俺は”音楽”という形で相手に伝えたい思いを込める。
そして隣にはその想いをきちんと理解してくれる人が居る。それは、愛しい人だということ。
少し考えれば気付いただろう。
俺は、雲雀に「先生」のポジションを無意識に当てはめていたということだ。
…気付かなくて良かった。気付いていれば俺は色々な自己嫌悪で憤死していたことだろう。
チャイムが鳴り、存分にピアノを弾いた俺はそっと椅子から立ち上がった。
チラリと雲雀を伺えば、かすかな寝息が聞こえてくる。…委員長の寝顔なんて貴重なんじゃないのか。
「ありがとう、ございました」
小さく一言囁いてから応接室の扉を開く。
ほかほかした気持ちで廊下に出た俺は、次に呼び出しされたら何を弾いてやろう。と、そんなことを考えていた。
なんという進歩。思わず苦笑だ。
ふと武の誕生日で悶々としていた気分がすっかり飛んでいたのに気付く。
「…これは、委員長効果抜群だな」
パタンと扉を閉め、俺は上擦った気分で教室へと戻っていった。
教室では自分の追悼式が行われていることなど知る由もない。
『ありがとう、ございました』
スッ…と目を開き身体を起こす。
先程まで聞こえていた演奏の余韻を残し、雲雀は静かに思い浮かべた。
綺麗な音 綺麗な手 綺麗な表情
今まで知っていた山本という生徒の印象はとうに消えうせ、それのみが浮かんだ。
つい最近までは、どこか胡散臭さを感じさせる人間だと思っていたのに。
「山本…」
口にすれば自然と甘さを生じさせる名だと思った。何故だろう、名前を囁いただけなのに。
雲雀はピアノに顔を向け、思案する。
これは一体 どういう感情なのだろうか… と。
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