まあ大体予想はしてたけど…。ほら、コイツが「母さん父さん」とか言ってるの想像付かないじゃん。






「これ…ここら辺で一番高級なマンションじゃなかったっけ?」
「ふーん。そうなんだ」


エントランスから恭弥の部屋に入るまで開いた口が塞がらなかった俺は、玄関で靴を脱ぐのに戸惑ってしばらくそこに立ち尽くしていた。
置いてある靴は恭弥が脱いだ分だけ。薄暗い玄関は足元をほのかに照らしているライトで一層と高級感を演出している。微かに何かの香りはするのに、芳香剤らしきものはどこにも見当たらなかった。
予想以上の上流っぷりに唖然としていると、奥の方からいつの間にか黒いワイシャツに着替えた恭弥がこちらにむかって怪訝そうな表情を見せてきた。


「何やってんの?」
「あ…いや、……。お邪魔します」


無駄に長い廊下をビクビクしながら少しずつ進む。人の気配が感じられず無機質で殺風景だが、きちんと毎日掃除している気配があった。
恭弥がやや潔癖持ちだというのは分かっていたけど、まさかここまでとは。
恭弥が顔を出した突き当たりのドアを開けると、急に開けた空間に出た。高い天井から小さなプロペラの付いた電球がぶら下がって広い部屋を照らしている。
シンプルに置いてある家具も良く見れば、どれも値段の張りそうなセンスの良いものばかりだった。


「一応聞くけど、恭弥だけ?」
「そうだよ」
「両親は実家?」
「さあ」


否定も肯定もせず黙々とお茶の準備をしている恭弥は、家の雰囲気も相まって普通に格好良かった。学ランという、並盛の秩序の証みたいなモンを脱いだからだろうか。普通に、格好良いと思った。


「学ランを脱ぐと別の人格が現れるとか…」
「何バカなこと言ってんの。それと、いつまでその格好で居る気?」
「あ、もしかしてコレ着て良いの?」


先ほどからチラチラと気になっていたTシャツを掴み上げ、ニヤついた表情で恭弥を伺う。家主は顔すら上げず、うんともすんとも言わなかった。
その様子を見て余計に口元が釣りあがりそうになるのを堪える。「お泊り」なんて、そう言えば初めてかもしれないなあ。なんて。

俺がちょうど着替え終わったところで、なんの前触れも無く何かを投げ寄越された。
驚きながらもそれを受け止めると、なにやらピザの出前を取る事になったらしい。ズラっと並んだピザの写真は、朝からレモンティーしか入っていない胃袋を挑発するかのように輝いて見えた。
応接室にあるのと同じティーカップで二人分の紅茶を運んできた恭弥に、コレとコレ、あとコレ、ソレも。と言って指差した瞬間にパシっと頭を叩かれた。思わず淹れ立てのダージリンに顔面から突っ込みそうになる。
食べ盛りの男子にしても4枚は多すぎ。という恭弥のお言葉に従って、しぶしぶ二枚までに絞って注文を取った。オーソドックスにマルゲリータ一枚と、あとじゃがいもが乗ってるヤツだ。
お茶を一杯飲んだ後、早くても20分は掛かるだろうと言って、恭弥はそのままリビングから姿を消した。広い部屋に一人残された俺はぼーっと天井を見上げながら意味も無く素数を数え始める。

当然だけど、この家に入ってからずっと恭弥の匂いがしていた。
改めて他人の家に居るんだなあということを自覚してしまう。
昨日から連絡を入れてないけど、母さんは心配しているだろうか。
家出なんてもちろん初めてのことだ。親父と喧嘩をしたとかで家を飛び出してきたとかならまだ分かるけど、こんな家出の仕方じゃあ誘拐されたと言われて捜索願が出てもおかしくはない。まあ、あの人たちなら「俺の意思」があったことにはとっくに気付いているとは思うけど。


けれど


けれど…。




「武……」




多少は冷静さを取り戻してきた俺は、武と話を付ける前に逃げ出してしまったことを後悔し始めていた。
アイツは、きっと勘違いをしてしまっている。
確かにタイミングが悪かったと言えばそこまでだが、武の今の悩みは俺でしか決着をつけることができない。
せめてもっと早く…今のこの現状、絶望が逃れられないものだったとしても、武が自分を責めるなんてこと、避けて通れる道のハズだった。
それは全て、俺の決定的な「弱さ」の露呈した結果。
もっと早く…もっと早く、武と話をすることが出来ていれば。


「…なんか、もう一発殴って欲しいみたいな顔してるね」


俺の横に立ってそう言った恭弥の手には、何かのプリントが握られていた。
ハハッと自嘲気味に哂って俺は再び天井を見上げる。


「バカだったんだよ俺。弟をほったらかしにして、自分の都合で死んでもいいとか考えてたんだ」
「…」


呆れているのか、殴るタイミングを計っているのか。恭弥が黙っているのを良い事に俺はぽつぽつと言葉を漏らし始めた。




「そんなことをすればアイツがどれだけ自分を責めるのか分かりきってるクセに。「お前のせいじゃないよ」とも言わずに姿を消そうとした最低な兄貴でさ」
「俺は、俺自身が犯した最大級のバカなことを、また繰り返そうとしていたんだ」
「大切な人を残してその人に一生の傷を刻み付けて」




真っ先に”裏切られた”と考える自分が殺してやりたい位 憎い

真っ先に死ぬ事で逃げようとする自分が滑稽すぎて 憎い


それでも死ねない自分に、ザマアミロ と。


「意味が分からない」
「だろうな」
「でもキミが本当にバカだという事だけは分かった」
「そっか」


恭弥のいっそ清清しいほどの感想に思わず笑いが零れる。自嘲では、無かった。


「正しい生き方のマニュアル、あるなら即買うのになあ」


支離滅裂な俺の呟きに恭弥はもう何も答えなかった。
さっきと同じように正面のソファに腰掛け、お茶を淹れ直している。横に置かれたプリントは何やら委員関連の予算表らしかった。
俺はぼーっとその光景を眺め、そろそろピザが届く頃かもしれないと、ぼんやりとそんなことを考えていた。






「…でもは此処にいる。少しでも後悔して、今も此処に踏みとどまっている」






俺は恭弥の言葉にゆっくりと目を見開いた。





「代金、後で利子付きで全額請求するから」
「え?」


ぱっ立ち上がってと目を合わさずに玄関の方へと歩いていった恭弥を見て、インターホンが鳴ったということにようやく気が付いた。
元気な宅配員の声が聞こえてきて微かに食欲を刺激する匂いが漂ってきた。

恭弥の言葉を理解するのに、少し時間が掛かった。


「(後悔、して…)」


ふとあの頃の自分を思い浮かべた。あの頃は自分で自分を追い込み、最終的に死に方ばかりを考えていた。あの時の俺には、後悔なんて文字は浮かんでこなかったんだ。
あの頃と今の状況を重ねて考えていたけど、今更になって全く違うんだという事に気付く。
何かを求めて恭弥の元を訪れた俺。武を残したことを後悔している俺。
あの頃の自分に無いものを、今俺は、確かに持っていた。


バシッ

「いってぇ!」
「少しは働きなよ」


ゲンコツで頭を思いっきり殴られた。この感触は間違いなくコブになるな…。


「……へへ、今は恭弥が頬を叩いてくれるんだもんな」
「頬なんて言わずに全身打撲で入院送りにだってしてあげるよ」


ピザの入っている箱を二つ重ねながら恭弥は不適に哂って見せた。コイツなら本当に実行できそうな言葉なのに、今の俺にはそれだけでむず痒い様な照れくさいような、そんな気持ちになった。




明日こそ武に伝えよう。

お前がどんな想いを抱いていても、俺はそれから逃げはしない。と。




































「(武…出てこないな)」


朝練を終えてゾロゾロと部室から出てくる野球部員を眺めながら俺は溜息を付いた。
意気込んで出てきた割に出鼻を挫かれて思わずうあーーっと声が漏れてしまう。
結局最後に部長が鍵を閉めるのを見届けるまで待ったが、見慣れた姿がそこから現れることはなかった。


「(…しょうがない、昼休みに直接教室まで会いに行くか)」


本当なら今この場で、昼休みに校舎裏のベンチで待ってる。と伝えるはずだったが当人がいなくては仕様が無い。俺は直接教室まで迎えに行ってから武と話をすることにした。
いつものように下駄箱や廊下で行き交う生徒達と挨拶を交わしながら教室へと向かっていった。誰も俺の中の変化には気付いていない。
学校自体は一日無断欠席しただけなので特に何を問われるということもないだろう。適当に風邪を引いていた、と笑顔で答えておけば良い。友人ならば笑って何時まで寝てたんだよと聞くだろうし、先生なら呆れてしょうがない奴だなと返すに違いない。
なんとなく…武が練習に来ていないと言う事が、頭の隅から離れなかった。



































それは何時間目の休み時間だっただろうか。まだそこまで経ってはいなかった筈だ。
俺はクラスメイトとだべりながら、ぼんやりとだけ武の事を考えていた。
うまく言葉を伝えられるだろうか。始めに、どんな顔をして会いに行けば良いのだろうか。
実質顔を合わせていない期間は二日だけなのにもう何年も話したことの無い相手と再会するような心持だった。大丈夫、落ち着いて話せば上手くいくはずだ。大丈夫、大丈夫。
くりかえす言葉はまるで恋のまじないのよう。


軽く浮き足立っていた俺の指は無意識に、鍵盤を叩くようにしてリズムを刻んでいた。叩かれる机からは乾いた音しか鳴らないけど、俺の中ではその一つ一つが立派な旋律としてメロディを奏でていた。


「なあ、そう言えば今朝野球部の奴から聞いたんだけどさ…―――――――」


隣に座っていた奴が半分意識の飛んだ俺を見上げて何かを言おうとした時だ。
突如廊下から悲鳴が聞こえ、それを合図とするようにドタバタと伝染してざわめきが広がってゆく。
その様子に何事かと廊下を覗き込んだ女子が、すぐに顔を真っ青にして俺に向かって何事かを叫んだ。



理解するより先に俺は、弾かれる様にして教室を飛び出した。



椅子を蹴り倒し 人を体当たりで蹴散らして



自ら遠ざけていた、―――――――――……屋上へと。