一段一段がもどかしすぎて、俺は三段飛ばしで階段を駆け上がった。
弾む息とそこらにちらばる野次馬達が煩わしかった。
さっきまで浮き足立っていた自分に、激しく苛立ちがこみ上げてくる。
ふざけるな、もし手遅れなんかになってみろ。俺は、一生お前を許さないからな。そう言って、俺自身をぶっ飛ばしてやりたかった。
バン!!
半開きだった扉を殴り飛ばすかのように開け放った。そこに広がる青空と太陽の輝きのいやらしさといったら、昨日の比じゃないと思った。
その場に居た全員がこっちに向かって顔を向ける。大半が驚きと、戸惑いの表情を浮かべていた。
「え、先輩!?」
「うそ、なんで?」
好奇の視線が向けられているのが分かる。でも今は、わずかに人の隙間から見える武の背中しか見えてこなかった。
一歩、前に踏み出す。
すると何も言葉を発していないのに、勝手に道が開いた。
既にはっきりと確認できる、まぎれもない弟の姿。うつむいて背中を向けたままだったけど、その痛々しい包帯が確認できるまで近づいた。
「たけし」
「…」
わずかに肩が揺れる。それだけでも俺の背筋はひんやりと冷えた。
その時ほんの一瞬だけ自分が飛び降りた時の記憶が甦ったが、拳を握り締めてそれを振り払った。
「たけし、こっちに来い」
「…兄貴」
ようやく発した武の言葉を聞いて、最前列からざわめきが広がっていく。「うそ、武君のお兄さんって」「全然知らなかった」
それでも武はまだこちらを振り向かない。
今ならそっと近づいてこちら側に引っ張り込むことも可能だった。なのに俺の脚は、その3メートル手前から動くことが出来なかった。
竦んでいる。情けなさ過ぎて、涙が出そうだった。
「……頼む、俺のところに来なくても良い。せめて、せめてフェンスの中に戻ってきてくれ…」
涙を堪えて声が掠れる。
武がこの視界から居なくなってしまうこと、それを考えただけでも恐ろしすぎて嘔吐しそうだった。
俺は こんな気持ちを…今まで押し付けてきたのか。
ごめん、ごめんと何回も呟く。俺はその言葉と共に押し流されてきたものを抑えこもうとして手で口を覆った。
その時ようやくハッとしたように武がこちらを振り返る。
情けなく俯き震えている俺を見て、一瞬手を伸ばそうとした。けれどそれは留まり、何かを堪えるようにぐっと拳を握り締めた。
「兄貴が悪いんじゃない。俺が…俺だけの中にしまっておかなかったのがいけないんだ」
「俺は、お前が悪いなんて一言も言ってない!」
「じゃあ何で急に居なくなったりしたんだよ!!俺から逃げたんだろ!?」
違う!と叫ぼうとした喉がひゅっと鳴った。
嘘だ。違わない。
確かに俺は武から逃げていた。キスの意味を、俺は無かったことにしようとしていた。それは紛れも無い、事実。
「俺は…俺は…」
俺は、何がしたいんだろう。
武を引き止めて、それで自分の答えを伝えたいのだろうか。
一度逃げた俺が、もう逃げないと伝えて、そこからどうしようと言うのだろうか。
雲雀が居なければ先に死んでいたのは俺だ。
そんな奴が、何を偉そうに弟を引きとめようとしているんだろう。
どうしようもない絶望で目の前が真っ暗になったその時だった。
突然背中に物凄い衝撃を受けて、俺は倒れこんだ。
「ツナ…」
俺の上に覆いかぶさっていた何かが慌てて起き上がる。
ゴメンナサイ!と大声で謝ったのは沢田綱吉だった。
「止めにきたならムダだぜ。お前なら俺の気持ちが分かるはずだ」
「え?」
武の瞳からは、さっきまでほんの少し残っていた光が完全に消えうせていた。
その色に背筋が凍りつくと同時に、またしても酷い後悔に襲われた。
俺は何を迷っていたんだ。もう二度と、武を悲しませないと誓ったのに。
未だに立ち上がることの出来なかった俺は、あまりの悔しさに喉が焼けそうなほど息苦しさを感じた。
「自分を抑え切れなくて兄貴を傷付けた。関係を壊した。そんな自分が悔しくて野球で振り払おうとした結果が、コレだ」
「関係を…こ、壊した?」
「ツナなら、何をやってもダメで、死んでもマシっつー思い、分かるだろ」
「そ、いや…っ俺は!」
顔を上げることが出来ない。無機質な、むき出しのコンクリートに一粒、涙が落ちて染み込んだ。
武が死ぬというのなら、俺も再び其処から堕ちよう。
一緒には逝けないけど、一人で死んでいく寂しさだけでも、兄ちゃんが拭ってやる。
その時だ。
お互い死のうとしていたどうしようもない兄弟の目前に
わずかだけど、確かに何かが光り輝いた。
それは確かに 俺もいつかに感じた光。
どーせ死ぬんだったら死ぬ気になってやっておけばよかったって
こんなことで死ぬの
もったいないなって………
俺は弾かれるようにして沢田を見上げた。
今の言葉が、どこまでも深く俺を貫いた。
ダッと走り出した沢田を武が引き止める。
その反動ですべった沢田が、武と古びたフェンス諸共落ちていった。
「「「「きゃああああああああああああ!!!」」」」
その瞬間、今までごちゃごちゃ浮かんでいたモノが全て吹っ飛んで、俺は無我夢中で走り出し、手を伸ばした。
「――――…っ、武ーーー…!!」
共に落ちてきた俺に武の青ざめた顔が一気に驚きに変わる。
なんとかシャツを掴み取り、武を守るようにしてキツク抱きしめた。
「バカ!なんで、なんで兄貴まで落っこちて来てんだよ!!」
「それはこっちの台詞だボケ!もう俺の目の前ではしないって言ったのは、お前だろォが!!」
凄まじい勢いで風を切って落ちていく。俺にとっては、二度目の経験だった。
「こんなことで死ぬなんて、絶対に許さないからな!!」
きつく歯を噛み締めて徐々に迫ってくる地面を睨みつける。
俺が死んでも、また会いに来ればいいんだ。武が生きていてくれるのならば…!
「うおおおお!死ぬ気で山本と先輩を助ける!!」
わずかに上空から落ちていた沢田が突然服を脱いで叫んだ。
何事かと思わず一瞬あ然としてしまったが、なんと沢田は俺と山本を抱え込んで落ちる速度を止めようとした。
それでも勢いは衰えず、とうとう地面が目前まで迫ってくる。
感じることはないと考えてきたけど
俺はその時確かに、死ぬことに恐怖を覚えた。
ズガンッ
銃声の音などその時は耳に届かなかった。
ただ無我夢中で武を抱きしめていたら、武の左手が俺の頭を抱え込んだ。
次の瞬間には、何故か無傷でその場に倒れこんでいた。
「死…んで、無い?武も…俺も」
「ツナだ」
むくりと起き上がった武が沢田に視線を向けて言い放った。
信じられなかった。確かに沢田は人が変わったように俺と武を助けようとしてくれていたのは覚えている。
でもどうやって…。
「ツナ、お前はスゲー奴だ」
「えっ」
「ありがとう、兄貴を助けてくれて」
「山本…」
武の満面の笑みなんて、何日ぶりだった。
その一番武らしい笑顔を、沢田が作り出してくれたんだ。
「…俺からも、弟を助けてくれてありがとう」
「いいいやっ、そんな、でも良かった、二人が無事で…」
「………お前って、本当に優しい奴なんだな」
いつかのようにポンと頭に手を乗せる。親愛をこめてツナ、と呼べば、さっきまで必死の形相で俺たちを救ってくれた姿からは想像も出来ないくらい、恥ずかしそうに顔を真っ赤にした。可笑しくて、俺も思わず笑顔がこぼれた。
そんなやりとりをしていると、突然武が左手だけで俺を抱きしめてきた。片腕だけなのに凄い力だ。息苦しかったけど、少しだけ懐かしい感じがして、俺は大人しく身体を預けた。
「ええ〜っと…。山本と先輩って、兄弟だったんだね」
ツナはどことなく気まずげに言葉を発した。居づらい雰囲気を感じ取ったようだった。
しかし武は特に気にせず、普段の軽口と同じ調子で口を開いた。
「ああ、でも血は繋がってないんだ」
武の言葉にツナだけでなく、俺も「えっ」と声を漏らした。
「お前…知ってたのか」
「知ってたよ。つっても結構最近だけどな。俺が直接親父達に聞いたんだ」
「え、え?どういうこと?」
「俺は、………………養子なんだ」
間を空けた言葉に、ツナは複雑な顔をしながらも妙に納得したような表情を浮かべた。
俺は母親にも父親にも似ていない。なぜなら俺は、拾われた子供だから。当然武と俺は似るはずも無かった。
それにしても武がこんなに早く知ることになるなんて。
「…それから、か?」
「うん」
少しだけ腕に力が篭る。
こいつは。この腕は
ずっと兄じゃなくて…「俺」を、抱いていたのか。
「そう…。そうだったんだな」
「……ごめん」
「バカ。なんであやまるんだよ」
「弟でいられなくてごめん」
「お前は俺の弟だよ」
「でも俺は、弟ってだけじゃ足りないんだよ」
「随分ストレートに言うようになったな」
「ごめん。でも、一緒に居るだけじゃ足りない。もっと兄貴に触りたい」
「…たけし」
「ごめん」
「謝るな。お前は俺の弟だけど、「山本武」からは逃げねえよ」
「…それって、つまり?」
「俺は「弟」のお前から逃げていたんだ。「山本武」で俺に向かってきてくれるって分かったなら、もう迷うことも無いだろ」
「…っ。あにっ…、!」
「おいっ、息が出来ない!」
ツナが顔を真っ赤にして見ている。でも俺も武も、今言わないともう二度と修復できないことを感じていた。
あれだけ言い出すのにもたもたしていたくせに、いざ向かい合うと自分でも知らなかった本音がスルスルと口から出てくる。九死に一生の力だ。あの時も、これくらい本音でぶつかっていけば良かったと思った。
死ぬ時に後悔するくらいなら、死ぬ気でやっとけばよかった、か。
「(後悔してすべて投げ出す俺にとっては、教訓にするべき言葉だな)」
いつの間にか居なくなっていたツナを気にしつつ、俺と武はそのまま早引けすることにした。無傷だったけど先生達はあっさり帰してくれた。
隣でラッキーラッキーと変な鼻歌を歌う武が可笑しい。久々に二人で歩いた帰り道は、懐かしくて暖かかった。
昨日から先ほどまで感じていた太陽への理不尽な憤りも、今は暖かいと思えることも、 また可笑しかった。
「母さん、何か言ってた?」
「笑ってた。親父なんて、もっと笑ってたな」
心配しているとは思わなかったけど、思春期の息子の家出を笑い事で済ませるだなんてとんでもない両親だな。
そう言うと武も親父に良く似た笑い方で笑い出す。思わずつられて笑えば、武はいっそう幸せそうな表情を浮かべて笑った。
俺はその時確かに 生を感じた。
(最終回でも良いんじゃないかと思いました。この回を書けただけでももうすっごい満足)
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