蜘蛛と対峙する。

いつかはこの身に降りかかるだろう逃れられない一瞬。

それが自発的だろうが突発的だろうが俺がこの世界に存在するならばそれは必然だった。

いやあのでも…まだ覚悟とかはしてなかったんでもう少し待っていてもらいたかったんですけど。ええ。

「まったく…お前のせいで仕事がまるまるおじゃんになっちまったじゃねえか」
「…すんません」
「まあいい。それより、これからどうするつもりなんだ?」
「どうって」

覚悟もなにもなかった俺が、蜘蛛と出会って何をしたいかなんて、すぐに考えられるわけもなかった。

シュバルトはじっと答えを待って視線を外さない。

列車にゆられ向かい合うような体制で、確かにその場は穏やかだ。だが、相手の構える空気から感じれば、明確な答えを待っているのが分かる。

シュバルトは見極めようとしているのか。

俺が何者であるのかと同時に、蜘蛛と「」と俺との関係を。

俺は何気なく視線を窓に向け、流れる景色を追った。

「……取りあえず、逃げるさ」
「…それがお前の答えか」
「あくまで現時点で、だな」

少なくともシュバルトの中での俺は、昨日までとは変化しているのだろう。

今まで幻影旅団について一切触れてこなかった俺が、旅団に追われるのが当然のように振舞っているのだ。言葉なしに「」が旅団と関係があることを知っていると言っているのと同じだ。

「(ああ、それにしても右手が燃えるように熱い)」

包帯ごと右手を氷漬けにしてしまいたいほどの熱を感じた。それはあのシャルナークに追われたときから止むことはない。

彼等は「」に瓜二つな俺を逃がしてはくれないだろう。

制限時間(タイムリミット)は動き出した。もし捕まった時、俺は彼等に何を伝えればいいのか…考えなければいけない。

「分かった。それなら俺が一緒だと余計見つかりやすくなるだろう。安全な場所まで送り届けてやる。…でもその前に、一つ聞かせろ」
「しばらく会えない、か。特別に答えてやるよ、もしかしたら最後の質問になるかもだしな」
「…お前は””の、なんなんだ」


それは試験中の頃に聞かれた質問と、少しニュアンスが変わっていた。


「……俺の中の想像でいいのなら」
「かまわない。言え」

車窓から顔を逸らし、正面に座っているシュバルトに視線を合わせた。

それは俺の中でも初めて口にする考え。漠然と思い浮かんでいた説、だが言われればしっくりとくる答えだった。








「多分俺は…呼ばれているんだと思う」


何者でもない、この世界の俺に。








「…?それは、どういう意…」
「ハーイ!質問タイム終わり!俺はもう寝る、寝るったら寝るからな。起こしたらブン殴るぞ」
「…」

素早く簡易ベッドにもぐりこみ頭から布団を被る。

大出血サービスで誓約ギリギリで答えてやったんだ。これ以上はもう受け付けません!

少し冷えていた布団が体温によって徐々に温まってくると、まぶたも自然と降りてくる。

今日は本当に疲れた。駅に着くまで一眠りしておこう。

シュバルトと過ごす最後の時間。大して名残惜しくもない、その証拠に、もう何も話すことはなかった。

「ったく…。しょうがねぇな、到着したら起こしてやるよ。

それと…不吉なことを言うな。死ぬなんて、許さないからな」

かすかに聞こえた溜息の後、呟かれた言葉を聞いてから、おれはまどろみのぬるま湯へともぐりこんでいった。
































「あのー…シュバルト・クローツの紹介で来た者なんですが…」
「?? ああ、クラウ(・・)ツさんがおっしゃってたバイトの方ですね。会長の部屋へお通しするように言付かっております。こちらへどうぞ」

「(まさかハンター協会でバイトをすることになるとは…まあこれ以上の安全はないんだろうけど)」

受付嬢の後を付いて行き、ムダに広いエレベータに乗り込んだ俺は、彼女が押した最上階のボタンの数字を見て思わず目を見開いてしまった。

111階?おいおいおいおいおいこの世界のエレベーターは一体どうなってんだよ。三桁なんて常識なのか?

しかもムダにゾロ目だし…この辺はむしろ意図的なものを感じるな。

あっという間に最上階に到着すると、どこか日本を感じさせる広い部屋に出た。

奥に見える人影は二人。エレベーターのドアが閉まり、受付嬢はその場で姿を消した。

どちらも会ったことのあるオーラだ。俺は靴を脱ぎ、畳の上に上がった。

「お久しぶりです。試験以来ですね」
「えーと…、お久しぶりです」
「ま、座りなされ」

リーの隣、ネトロの正面に腰を下ろし、改めて頭を下げた。

「クラウ(・・)ツ・シュバルトの紹介で派遣されました、と言います。レジ打ちと飲み屋のバイトなら長くやったことがあります。パチ屋の店員もちょこっとなら。野球部だったので体力仕事なら任せてください」

貧乏学生のバイト暦は伊達じゃない。言っとくけど俺は面接で落ちたことはないぞ。

「ホッホッホ、これはまた聞いていた話と随分違うのう」
「だから言ったでしょう、シュバルトが言っているよりもはまともな青年だと」

あのカマ野郎がどうやら余計なことを言ったらしい。これは再会するまで絶対死ねないなブン殴る。

「まあまあ楽にせい。そこまで難しい仕事を頼んだりはせんよ」
「どっちみちここでの仕事は殆どはハンター免許が必要ですしね」
「え、そうなんすか?」
「そうなんです」

穏やかに笑うリーの言葉に毒気を抜かれ、肩に入っていた力も抜けた。

「ハンター協会っていうくらいだから何かとんでもなく危険な仕事を頼まれるのかと思ってた…」
「少なくてもお主が外で動くようなことはない。この建物の中でやってもらう仕事じゃよ。安心しなされ」
「あー…シュバルトからどのくらい話を聞いたんですか?」
「どこかの悪の組織に追われているから匿ってやってほしいと。マフィアでもつっついて目を付けられたか?若いぱわーじゃて気にしなさんな」
「……。やっかいになります」

当たらずとも遠からずな話に俺がとやかく言う隙はないと感じた。さすがハンター界の長。好きに使ってやってください。

「ひととおり面会わせも済みましたね?ね?それじゃあ衣装合わせをしましょうか。ささ、くんこちらへ」
「は」

何故か急に張り切ったようにリーが俺の腕を引きずって歩き出した。

衣装合わせとか言ったか?なんだ、ハンター協会のCMにでも起用されんのか?

そんなん外で大暴れするよりよっぽど目立ってしまうではないか。異様に目を輝かせているリーに連れられ向かった先は、普通の更衣室だった。

ああでも気のせいだろうか。

なにやら女物のスーツやらウィッグやら…しまいにはストッキングにメイクセットまで。そうだな、目がかすんでいるんだな。おいシュバルト、説明しろコラ

「さあさあ早くその小汚い服を脱ぎなさい。きっとキミならすごく可愛くなれます。師匠なんて目じゃありませんよ」

シュバルトは顔立ちはハッキリしていたのでメイクのし甲斐はありましたが美しくはなかったですしね。などと果てしなくどうでも良い話をぶつぶつ呟いてリーは黙々とメイク道具を広げていった。

逃げるか?逃げるしかないだろう、師弟で女装なんて今世紀最大の笑いもんだ。しかし何処へ逃げれば…

ぐわんぐわんとシェイクする脳みそのせいで早く逃げろと命令しても手足が動かない。後で考えたのだが、これは混乱していたからでなく、もしかしたらリーの念能力だったのかもしれない。

カマ男とかさんざん罵って悪かったシュバルト…。

「パッドを忘れないで下さいね。ああもうそれは違う、こっちを先に着て。ホラ、動かないっ!」
「いや!っていうか何故女装の必要が!?」
私がさせたいからに決まっているでしょう!!
「(えええええええ)」

擬態とでもなく趣味ときっぱり言うリーは男らしく、反して俺は女らしくなっていった。

高校の文化祭でも女装はしたけどマスカラまではやらなかったのに…。ていうかこの制服はどっかで見たぞ、俺、受付嬢やんの?




「…で、できた…私の最高傑作…っ」
「わぁー…俺、ちょーかーわいい…」

この鏡の中で俺を見てるのは憧れのエビちゃん?

これはもはや特殊メイクの域だろう。元カノのすっぴんを見たときもなかなか衝撃的だったけど、これはそんなレベルじゃねえぞ。

「なんかこの巻き巻きした髪の毛くすぐったいんだけど」
「我慢なさい、ああでも明日はアップにしてみるのもいいかもしれませんね」
「明日も…これやるんだ…」

危険でもいいからいっそ逃げ出してクジラ島にでも隠居したい。

最後にパシャリと写真を撮り満足したのか、リーは「では私は用事があるので失礼します。最初に事務室に寄ってくださいね」と言い残して更衣室を出て行った。

一人になり、知らずに溜息が漏れる。

「ああ俺、疲れてんのか…」

体力的な部分ではない。もっと、中の部分。

情けないな、こんな程度でバテてたら、この先もっとキツイことも起こるだろうに。

「もつのかよ」

くっと首をあげて天井を睨み上げる。この厚化粧の下に隠された惨めな姿。困惑し、逃げ惑う。

何を迷っているんだ。

とにかく今の俺には考えるべきことがある。旅団と正面から向き合う時、少なくとも殺されないように。

そこで「」の正体の片鱗を掴み、そして俺がこの世界で何を成すべきかを。

まあその辺はおまけというか、出来ればの話だけど。

時間が与えられたんだ…なにがなんでも覚悟を決めてやる。

「女装して受付嬢がなんだってんだ!?俺は金が絡むのなら強いぞ!」

パーンと両頬をはたき自分に喝を入れる。チークが引かれていたので大した赤みは目立たなかった。



さあいざ、事務室へ!
























同時刻某所。

「…ん?お、リーから報告が来たな」

シュバルトは片手にコーヒーカップを持ち、ピッと携帯のボタンを押して受信メールを開いた。

ゆっくりとカップに口をつけ内容を読んでいく。本人同様、几帳面な文体からは事務的な内容しか書かれていなかった。




件名:報告
添付ファイルあり
本文
予定通りの時刻に到着。会長との面会も滞りなく終了。
今日から早速バイトにつくことになりました。
こちらで預かっている間は私も気に掛けておきますので安心してください。



「特に問題もないみたいだな…ん?添付ファイル?」

何気なくそのファイルを開いてソレを見た瞬間、シュバルトは勢いよくコーヒーを噴いた。



「ゲホゲホッ、…もやられたのか。リーの病気は本当に困りもんだぜ」

それにしても師弟揃って被害に遭うとは。今世紀最大の笑いもんだな。



こちらに向かって唖然とした表情を見せる美女を一瞥し、シュバルトは口を拭った。





(というか私の趣味です)

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